肉屋の女房 プロフィール | 【ジンギスカンと天然ジビエ/肉のスズキヤ】

肉屋の女房 プロフィール

肉屋の女房こと鈴木志保です

(Photo:観光協会時代、物産展でやまめの塩焼きの売り子さん)

(Photo:観光協会時代、物産展でやまめの塩焼きの売り子さん)

こんにちは、肉屋の女房こと鈴木志保です。
私は長野県の南部、伊那市の出身です。
信州に生まれ育ったので、山も自然もそれなりに好きだった私ですが、そんな私でもびっくりするくらいのこの秘境遠山郷にやってきて、まさか自分が創業50年の老舗の肉屋に嫁に来てしまうとは思ってもおりませんでした。
ここでは、私が遠山郷へやってくることになったきっかけ、
そして肉屋の女房になってからの奮闘の日々を少~し紹介します。
(あんまり赤裸々なのはこっぱずかしいので、ちょっとだけですに‥‥)

地元出版社で編集者の日々

大学を卒業して地元に帰ってきた私は、小さな出版社に勤めることになりました。
その会社は南信州地区の町や村など、自治体の要覧や観光パンフレットとか、地元の産業や文化・自然を紹介する冊子を作ったりしていました。
そこで毎日軽自動車にのって、あちこちの村々を訪れては、写真を撮ったり取材したりの毎日。
忙しい毎日でしたが、取材先であたたかい心の
おばちゃん、おじさん達に出会うのが楽しくて、充実した日々でした。

大盤振る舞いの遠山郷の衆

  (Photo:ジンギスは網焼きですに。  仕上げに手作りの餅も焼いたりして)


(Photo:ジンギスは網焼きですに。仕上げに手作りの餅も焼いたりして)

遠山郷は今は飯田市に合併されていますが、当時は、上村と南信濃村でした。
遠山郷の村の衆は、それはそれはほんとにあたたかく、びっくりすることの連続です。
たとえば私が取材で訪れると、やれ、上がっていけ、やれ、お茶を飲め、お漬け物から地元でとれた野菜の煮物などでおもてなしをしてくれます。
そのうちお昼も食べていけと、蕎麦やら天ぷらやらのフルコースが出てしまうのです。
夕暮れ時になると、肉でも焼いて一杯やるかーってなことで、
地元のおじちゃんたちと一緒に飲むお酒がまた美味しくて楽しくて、私も若気の至りで(汗。。今も若いけど。。)
一緒に朝までどんちゃん騒ぎをしているうちに、
すっかりこの村にはまってしまったのです。
今思えば、この時に、遠山ジンギスの味には出会っておったわけです。

あっちゅー間に村人に‥‥

そしてついに、なんの因果か、勢いで地元を離れ、会社をやめて、女一人で遠山郷へ働きに来てしまいました。26歳の時のことです。
遠山郷で一人暮らしをしながら、仕事は遠山郷の観光協会の職員。
観光協会ではホームページの更新や、遠山郷の魅力を伝えるいろんな企画を考えて、とても充実した楽しい日々でした。
お酒も・・・・・もちろん連日連夜・・(汗)。。
すっかり村の衆と家族のように親しくなってしまったのです。

(Photo:お茶摘みツアーの添乗員)

(遠山郷観光協会)

(遠山郷観光協会)

 

肉屋の若旦那って、やな感じ・・

その頃、遠山郷の和田の町を活性化させようと、
青年?壮年?中年?の衆が集まっていろんな企画するグループがあったのですが、その中に肉のスズキヤの若旦那さんがおりました。

若旦那さんは早くからホームページも持って情報発信したり、遠山郷の未来を考えいろいろ活動している若手?のリーダーだったので、 私とも村の活性化のことや観光の仕事のことで、いろいろ衝突することもあり、はっきり言って「やな感じ」。
観光案内所の砂利の駐車場のところに、スズキヤの配達バイク(ホンダカブ)に乗った白衣の男!が見えると、
「また、来たか。。。」と、臨戦態勢に入る私。
何かと難癖のような感じで、今思うと、まあ、腰かけのヨソもんが何を言うか!
ってな感情も、遠山郷で真剣に生きる若旦那にはあったのかもしれません。
それがいつの間にか間違った方向(?)に発展してしまい
「嫁に来ないか~」になってしまうとは・・人生ってわからないものですね。

遠山郷伝統の花嫁行列

(Photo:花嫁行列は私たち以降ないみたいです。続いて誰かやってくれるといいですけど)

(Photo:花嫁行列は私たち以降ないみたいです。続いて誰かやってくれるといいですけど)

人生ってわからないついでに、結婚式の2~3ヶ月前、結婚前のブライダルチェック(結婚前に婦人科系の人間ドックみたいなもの)で、子宮筋腫がかなり大きくなっていることが発覚。
外科的手術も早いほうがいいという判断で、式のほぼ1ヶ月前に切腹!して、筋腫の摘出手術を受けました。
結婚式に、私は神々しい!花嫁衣装を着て、
子供たちにお菓子をくばったり風船を配ったりしながら和田宿の通りを練り歩く、
昔ながらの花嫁行列をやりました。
 切腹したおなかを帯でぐるぐる巻きにして、重いかつらをつけたもんですから、
頑丈がとりえの私でも、病み上がりの身では、正直クラッとしましたに。

こんな光景を見るのはもう最後かもしれないと町の人たち、お年寄りにも喜ばれ、新聞が取材に来てくれました。
冷や汗が出て、ひきつった笑顔にならないよう、細心の注意を払いましたもんで、翌朝の朝刊の地方版で、一番大きく写真が載りましたぜ。
披露パーティも、友人やお店の従業員さん、地域の方たちが手作りで会場を作り、美味しいお肉を料理して出してくれました。
おかげさまでしたが、終了後、一生懸命片付けてくれている友人たちを放置しておけず、新郎新婦ともども、紋付はかまと着物を脱ぎ捨てて、お皿洗いなどに汗を流したのも、今となっては、いい思い出です。
(終わった後、クラっときたけど)。

やっと授かった子宝

(Photo:自然の恵みを肌で感じられる子に)

(Photo:自然の恵みを肌で感じられる子に)

楽しく明るく肉屋で働いてきた私ですが、
第一子の出産までには、死産、流産を経験しました。
間下このみちゃんというタレントさんが、お腹の赤ちゃんが育たないという難病を患って闘病されたのをご存じでしょうか。
私も、もしかしたら同じ病気かもしれないとお医者様に言われたときは、まさか・・と目の前が真っ暗になりました。
3回目の子どもがお腹に授かったとき、
市街地の病院から山道を1時間もかかる遠山郷にいては
おなかの子どもに何かあったときに対処できないと言われ、すごく忙しかったお店を若旦那に任せて、
長い妊娠期間中ずっと病院のそばで、じーっと静かに暮らしながらこの出産を乗り越えました。

 周りの人にたくさんたくさん迷惑をかけたけど、子どものことを第一に考えて、
長期間、家から離れることを許してくれた若旦那、会長や大女将さん、
従業員の皆さん、そして健康に生まれてきてくれたS坊に、本当に感謝しとります。

珍しい肉を安全に美味しく、楽しく‥‥

(Photo:スズキヤの一員として  会長、大女将、若旦那とともに。)

(Photo:スズキヤの一員として  会長、大女将、若旦那とともに。)

遠山郷へ26歳で単身乗り込んできてはや10年。
結婚してからは、丸5年の月日が過ぎていきました。
若旦那と2人、お店に立つと、お客様から、「若いおムコさんもらえて良かったわねー」と言われることも。。
えっ?それって、ひとまわり以上年上(14歳上)の若旦那より老けて見えるってこと!?
えっ?それって跡取り息子の若旦那より、
田舎の老舗に嫁に来た私の方が態度がでかいってこと!?
まあ、気にはなりますが、それも、
嫁の若いエキスと、コーディネイト、プロデュースによって
若旦那が若々しく若返り、私自身も、さまざまな経験を積んで、人間的に鍛えられ、人格的にも成長したかも。。ってことだと、
いいように(苦笑)前向きに考えて、すねたり、くさったり、若旦那にぐざったり、八つ当たりしたりせずに(フフフ)
前向きに山暮らしをしていきたいと思っています。

信州と山肉の文化を伝えたい

今日も遠山のあちこちで、何か会合が終わるとすぐにジンギスが始まっています。
遠山郷を含む南信州の皆さんは、
焼き肉と言わずに「ジンギスしまいか」ということも
多いくらい、遠山ジンギスは昔から親しまれてきたふるさとの味です。
そして南信州は、全国的にも有数の焼き肉店の密集地。
全国でも珍しい複合的な独自の焼き肉文化をもっています。
マトン、ジンギスカンの文化、おたぐり・馬刺しの馬肉の文化、
屠場が近くにあったことによるホルモンの文化、
ヤギ・ウサギ等家畜などの珍しいお肉を食す文化、
いわずと知れた山肉の文化・・・・
さまざまな食文化が混ざり合う焼き肉のるつぼ「南信州」
山のものを上手に利用して、
山のなかで自然に負けないように元気に生きていく山肉の文化、
そして南信州の独自の焼肉文化を、
山の肉屋スズキヤから、
日本中のみなさんに向けて発信していきたいと思っています。


わたしの遠山郷取材記

私の思い出のスクラップ帳をご紹介させていただきます。

 

 

 

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