「お肉のよもやま話」料理で再発見!お肉の魅力、おいしい秘密 2022年8月号
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「タン」と言えば、みんな「牛タン」を思い浮かべるのでは?
仙台名物とか、タン塩レモンは旨いなーとか、そんなイメージなんじゃないかな。
居酒屋じゃ「とりあえずビール」ってことが多いと思うけど、焼肉屋じゃ「とりあえず牛タン」。
焼肉屋のスタートは、牛タン、なんてイメージいつ頃からなんだろう。
東北仙台の名物牛タン。でも、実は、その歴史は意外と浅いみたい。
1980年頃までの牛タンっちゅーのは、仙台名物だと全国的な周知はなくて、
「むかし、牡蠣・ホヤ、いま牛タン」。って言うみたい。
「冬の牡蠣、夏のホヤみたいな季節の名物はあるけど、オールシーズンの仙台名物がない!」
ってことで、牛タンを次世代の仙台名物に育てようとしたみたいだに。
そもそも仙台に牛肉が定着したのは戦後間もなく。
進駐軍のために牛肉が大量に仙台へと持ち込まれ、
アメリカ兵が食べない余った内臓やテール、タンが地元の飲食店に持ち込まれたんだって。
そのなかで「タン」に目をつけたのが和食料理人の佐野啓四郎さん。
佐野さんは試行錯誤を繰り返し、1950年には牛タン焼きをメニュー化。
これが「仙台牛タン」の始まりなんだって。
30年たってはじまった、仙台あげての活動で、市内の牛タン専門店は100を超えるそうだに。
戦後、米兵が持ち込んだ牛肉文化を「牛タン文化」に深めて、
「仙台名物」へと進化させたのは、仙台の料理人、商売人たちだったんだなー。
仙台の牛タンは、たったひとりの情熱と、戦後の食糧難が生んだ名物だわな。
今もって庶民に愛される食文化の多くは戦後に生まれとる。
日本全国、どこだって、終戦直後の混乱期は、失業者であふれ、慢性的な食糧難。
酔っぱらいや喧嘩が多かったし、貧困にあえぐ物騒な時代だったと思う。
遠山ジンギスだって、似たような環境から誕生したが、食べ物に限らず、
いろんな多くの発明とかは、困難な状況のなか、
先人たちの圧倒的な情熱によって生まれとるんだなーと改めて感じる。
仙台の料理人の佐野さんも、まずは異国の未知の食材「牛タン」を、
職人の心を尽くして、いかにおいしく食べることができるか、とにかく頑張ったと思う。
オラも肉職人の端くれだから、その光景が思い浮かぶ。
タンの皮の剥き方とかもわからんかったと思うから、手には切り傷が絶えなかったと思うし。
毎日毎日、牛タンの包丁の入れ方の試行錯誤、厚さの吟味。終わりの見えない悪戦苦闘。
焼くときは塩加減、焼き加減はどうしたらいいんだか、あらゆる角度から研究したんだろうな。
オラの店は、いま、牛タンのほか、珍しい仔牛タン、豚タン、猪タン、鹿タン、熊タン、ラムタン…など、
山の肉屋ならではの多種のタンを扱っているが、どれもその畜種にあった包丁の入れ方がある。
猟師さんの日常を描いて話題になった「山賊ダイアリー」という漫画で、
「牛タンより美味(!?)なイノシシのタンに舌鼓。・・・・」と言って
猪のタンをおいしく食べるシーンがあって、猪のタンのことはやや知られるようになってきたけど、
牛タン以外の存在は、まだまだ知る人ぞ知る存在。
■「仙台名物」へと進化させてった、仙台の料理人、商売人たちの気概にふれ、
オラは、この秋「スズキヤ秋のタン祭り」をやるぞと心に決めた。
えーっと「ヤマザキ春のパン祭り」にあやかったわけではなく、
オラの「タン愛」「タン魂」に火がついちゃったわけで、そこんとこ、宜しくお願い致しますに。